ジャズの扉を叩こう!
−ジャズという素晴らしい音楽 入門編−


第18回
BY 公子王孫
相互作用その3

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 最後に、極めつけの相互作用を聴きましょう。 
 
[2] ビル・エヴァンス『ワルツ・フォー・デビー』

 まずはすでに紹介したアルバムから。
 相互作用といえばこのピアノトリオを忘れるわけにはいきません。「相互作用」を和英辞典で調べると"interaction"がまず出てきますが、音楽では"action"とは"play"のことなのて?、"interplay"という言葉がよく使われます。「インタープレイ」は、このトリオの代名詞となっています。
 とくにベースのスコット・ラファロに注目してください。ここでの彼の演奏は、一定のリズムのキープという役割を完全に捨て去っています。主旋律に対する伴奏でさえありません。これはもう、エヴァンスとは別のもうひとつのアドリブソロを演奏していると言えます。
 ピアノのやわらかくキュートな音と、ベースの硬く重い音が、互いの距離を縮めたり離したり、身を任せたり突き放したりしながらからみあう。まるでペアで踊るダンスを見ているようです。

 
[15] マイルス・デイヴィス『フォア・アンド・モア』(1964年)
Miles Davis “‘Four’ and More” (Columbia)


Miles Davis (tp)
George Coleman (ts)
Herbie Hancock (p)
Ron Carter (b)
Tony Williams(ds)

1964年2月12日録音

1.So What
2.Walkin
3.Joshua
4.Go-Go (Theme and Announcement)
5.Four
6.Seven Steps To Heaven
7.There Is No Greater Love
8.Go-Go (Theme and Announcement)

 次はドラムスがすごいアルバムです。
 1曲目の「ソー・ホワット」を聴いてください。『カインド・オブ・ブルー』の1曲目と同じ曲ですが、手さぐり状態を脱して、ものすごい疾走感で演奏しています。その疾走感を与えているのは、トニー・ウィリアムスのドラムスです。
 最初のマイルス・デイヴィスのアドリブソロのバックで暴れているドラムスを聴いてください。まるでマイルスを鞭でしばいているかのようです。いつもクールなマイルスも、いつになく熱くなっています。それによってトニー・ウィリアムスがますます熱くなる。まさに「相互作用」です。


 小学校に入ると音楽の時間にまずやるのは、みんなで同じ旋律を歌う「斉唱」ですね。独立した個々人の出す、音色の異なる複数の音(楽器や声)が、同じメロディ、同じリズムを演奏するときに感じる「合ってる感」。それをよろこびと感じる。そしてそれが演奏にも反映される。これが僕らの経験できる最もプリミティヴな「相互作用」ですね。
 学年が進むと、輪唱や合唱で旋律・リズムをずらしていき、それでも「合ってる感」が維持されることを知る。それは「やる側」だけでなく「聴く側」も共有できる。
 そして、ズレが大きいほどテンション(緊張)が高まり、感覚がとぎすまされ意識が覚醒する。もちろん、ズレが大きすぎると、伸びすぎたバネのように切れてしまう。(「切れる」のは演奏が破綻することだけでなく、聴く側がついていけなくなることも含みます。)
 ふつうやる側の破綻がまぬかれているのは、前もって充分に練られた「楽譜」があり、それがいつでも「みんなが帰る場所」になるからですね。ジャズの場合、コード進行が楽譜のかわりに「帰る場所」になりますが、そのとどめておく力は弱い。コード進行→モードとなるにつれ、ますます弱くなる。だから各自の演奏の「自由度」が高くなります。
 しかし(ジョン・ケージが言うように)各自が勝手に演奏していては音楽ではなくなります。少なくともジャズではなくなる。だから、一種の「コンセンサス(合ってる感)」をその場で即興でつくる必要があります。つまり、「自由」に「責任」がともなう。その責任感が、ジャズの「聴きごたえ」につながる。
 モードジャズは、アドリブソロの自由度だけでなく、リズムセクションの自由度も高めている気がします。その結果、切れるかどうかのギリギリの緊張感がうまれるし、聴く側の力も「許容範囲」によって試される。つまり演奏者と聴く側の間に「真剣勝負」があります(第5回参照)

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