ジャズの扉を叩こう!
−ジャズという素晴らしい音楽 入門編−


第15回
BY 公子王孫
ジャズの知識その4

前回へ 目次 次回へ
 前回はコード進行に基づいたアドリブソロのつくり方をのべましたが、他のやり方もあります。今回はこれについて説明しましょう。
 ジャズ・ミュージシャンは、コード進行の枠内で「自由に」即興演奏をしてきましたが、大雑把とは言え、コード進行という物語があらかじめ規定されています。その規定を、1960年頃の、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンといった最先端のミュージシャンたちは、「自由度が少ないのでスリルが足りない」と不満に思うようになりました。それで、「モード」と呼ばれる即興演奏法を開発しました。(ここら辺から僕の素人講義はますます怪しなってくるので、正しく知りたい方はご自分で勉強してください。)
「モード」とは、簡単に言えば「音階」のことだと理解しています。音階は音楽の基盤を規定するものですから、当然コードより大きな概念です。そして、1曲の中ではあるモードの中で自由に音を選んでよい、というのがモードによる即興演奏です。
 では「モードジャズ」のアルバムをさっそく聴いてみましょう。

[13] マイルス・デイヴィス『カインド・オブ・ブルー』(1959年)
Miles Davis “Kind of Blue” (Columbia)
マイルス・デイヴィス (tp)
キャノンボール・アダレイ(as)
ジョン・コルトレーン (ts)
ビル・エヴァンス (p)
ウィントン・ケリー (p) (2)
ポール・チェンバース (b)
ジミー・コブ (ds)
(1-3)
1959年3月2日録音

(4-5)
1959年4月22日録音
1. ソー・ホワット
2. フレディ・フリーローダー
3. ブルー・イン・グリーン
4. オール・ブルース
5. フラメンコ・スケッチ

 モードでつくられたジャズのアルバムの事実上最初の作品で、モードジャズの代名詞となっています。それと同時に、ジャズ史上の最高傑作アルバムのひとつともいわれています。上でのべた2人、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンと、キャノンボール・アダレイ、ビル・エヴァンスがアドリブソロを演奏します。
 1曲目の「ソー・ホワット」を聴いてください。これまで聴いてきたジャズとはあきらかに違う「感じ」をいだくのではないかな? 緊張感はあるんだけど、つかみどころのない、どこかふわふわした不思議な感覚。
 このアルバムが傑作であることに異論はないのですが、初めてのモードということでミュージシャンが手さぐりで演奏しており、そのため抑制が効いていて、その結果うまれた「不思議な」傑作なのではないかと思っています。
 そのような感覚を与えるアルバムはこの後は現れておらず、特にマイルス・デイヴィスとジョン・コルトレーンは、モードを完全に自分のものにすると、手にした自由度を「激しさ」という形で表出していきます。次にそのことがわかるアルバムを聴いてみましょう。


[14] マイルス・デイヴィス『マイルス・イン・ベルリン』(1964年)
Miled Davis "Miles in Berlin" (Columbia)

マイルス・デイヴィス (tp)
ウェイン・ショーター (ts)
ハービー・ハンコック (p)
ロン・カーター (b)
トニー・ウィリアムス (ds)

1964年9月25日録音

1. マイルストーンズ
2. 枯葉
3. ソー・ホワット
4. ウォーキン
5. テーマ

 2曲目の「枯葉」を聴いてください。冒頭から「枯葉」らしきメロディは出てきますが、物語は探そうとしても見つかりません。もちろんハモれないし、シャンソン的世界もありません。ときどき思い出したように出てくる「枯葉」のメロディがなければ、この曲が「枯葉」であったことさえ忘れてしまいます。
 [11]『サムシン・エルス』の「枯葉」でジャズっていいなぁと思いはじめたジャズ初心者の僕にとって、この『イン・ベルリン』の「枯葉」は謎でした。彼らが何をやろうとしているか、まるでわかりません。聴いていると不安な気持ちにさえなりました。
 当時の僕は、このような理解不能なジャズにぶつかることを避けるために、『サムシン・エルス』と『マイルス・イン・ベルリン』の違いを調べました。そして「モード」という、コード進行にもとづかないアドリブソロのつくり方があることを知りました。そして、僕はモードジャズというものに近づかなければ幸せにジャズを聴いていける、と思いました。
 しかし、モードというやり方をいったん知ると、不安な気持ちにはならなくなりました。それどころか、音楽としてのレベルが、他のジャンルに類を見ないほど高いことがわかるようになりました。では初めに、『イン・ベルリン』の「枯葉」を理解できなかった理由は何でしょうか?
 モードにはコード進行のような時間的な展開はありません。つまり「あらすじ」がないので物語性が薄まり、そのため「難しく」感じるのだと思います。
 映画や文学の方がわかりやすいですが、一般に芸術性が高いといわれる作品で、物語性が薄いということはよくありますね。作り手が、そもそも物語には興味がなく、映像や言葉は表現手段ではあるが、物語の伝達手段だとは思っていない。受け手には、安易な物語にとびついて「わかった」気になることなく、自分の世界観を理解して欲しいので、物語の展開を必要最小限度にとどめる、なんていう場合です。
 物語は受け手の興味・注意をその作品にとどめておくのに強力な手段になりますから、物語の面白さがないと、受け手が自分自身で興味をもち続けなくてはいけません。そのためその作品が難しく感じられる。
 しかし、作り手が物語にはそれほど関心がないということに気づくと、受け手は物語を追うことに集中するのをやめ、その作品を隅から隅まで鑑賞するようになります。僕はモードジャズによってまさにこの状態になりました。そして、ジャズがとてつもない音楽であると確信するようになりました。

 さて、さらに「モードさえ邪魔臭い」と思う一群のミュージシャンがいました。彼らはすべての枠組みを撤廃した「フリージャズ」というものを開発しました。フリージャズについて語るとまた長くなるので、今回はこの辺で。

CATFISH RECORDSへ