ジャズの扉を叩こう!
−ジャズという素晴らしい音楽 入門編−


第14回
BY 公子王孫
ジャズの知識その3

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 今回は、第1回で言った「どのようにしてアドリブがつくられるか?」について、その仕組みを説明しておきましょう。
 ただし、僕はジャズの演奏をしたことがありませんから、それは「机上の知識」でしかありません。しかし、ジャズの聴き始めにぶつかった高い壁を乗り越えるのに、僕にはこの机上の知識がとても役にたちました。(その“壁”については次回のべます。)
 誤解のないように言っておきますが、ジャズの演奏の理論的背景を知らなければジャズを聴く資格はない、なんてことは全くありません。

 むかしのフォーク歌手のLPレコードの歌詞カードには、大文字や小文字のアルファベットや数字からなる記号が歌詞の上に書かれていました。当時の高校生や大学生のお兄さんたちは、その記号を見ながらフォークギターをじゃかじゃかとかき鳴らし、「弾き語り」をしていました。その記号が何を意味しているのか知ったのは自分が高校生になったときでしたが、「コード」が書かれていたんですね。
 一例を挙げますと、お兄さんたちは「C」「Am」「F」「G」というコード(和音)をそれぞれ4回つまり1小節ずつかき鳴らしながら、歌のメロディを歌います。つまり、4小節の複雑なメロディがあっても、「C Am F G」といった感じでコードの流れ(コード進行)は大雑把になります。
 いま、音楽を音によってひとつの「物語」をつくることだと考えます。メロディという音の連なりに「物語」を感じ取ることはできますからね。そうすると、コード進行は、「あらすじ」みたいな「大雑把な物語」だと言えます。『ロミオとジュリエット』という「メロディ」に対応して、「若い男女がお互いを一目惚れする。しかし二人が属しているグループは敵対していて...」っていう「コード進行」があると。
 さて、ここで発想の転換です。「若い男女がお互いを一目惚れする。しかし二人が属しているグループは敵対していて...」というあらすじに対して、舞台を、例えばニューヨークのウエスト・サイドに移した、別の「物語」も「可能」であるということに気づきますね。
 音楽に戻ると、コード進行という「あらすじ」があったとしても、メロディの時間スケールでは全く異なる「物語」が存在しうる、ということになります。
 例えば「枯葉」というスタンダード曲には、誰でも知っているメロディがあり、それに付随してコード進行があります。そのコード進行だけを借りて、「枯葉」の別のメロディをあらたに「作曲」することが可能です。それを即興的にやるのが、ジャズの「アドリブ」なのです。すごいと思いませんか!?

 何度も言ってきたようにジャズはアドリブ(即興演奏)が命です。しかし即興と言っても、まったく何もないところからいきなりメロディを作り出すわけではなく、「コード進行」という大雑把な流れだけは与えられているということです。とは言え、それがものすごく大変な作業だということは想像できるでしょう。通常、作曲と演奏という行為は別の場所で行われますね。しかしジャズの音楽家は、両方が完全に同時にできないといけません!
 さて、なぜスタンダードが取り上げられるのでしょうか? これは「誰でも知っているから親しみやすい」という理由で行われているわけではありません(たまにはそういうこともあるかも知れませんが)。みんな知っているからこそ、そのコード進行から新たに作曲されたアドリブソロの良し悪しが露呈されるからなのです。それをさらに即興でやるジャズミュージシャンは、どんだけ苦行好きなのでしょうか。
 しかし、ミュージシャンがそういう苦行を自らに課すことによって、ジャズに聴くべき「価値」が生まれるわけですね。

 ここで、コ一ド進行に基づいてアドリブソロがつくられていることがわかりやすい名演奏を聴いてみましょう。


[11] キャノンボ一ル・アダレイ『サムシン・エルス』(1958年)

Cannonball Adderley “Somethin’ Else” (Blue Note)
マイルス・デイヴィス (tp)
キャノンボール・アダレイ(as)
ハンク・ジョーンズ (p)
サム・ジョーンズ (b)
アート・ブレイキー (ds)

1958年3月9日録音

1. 枯葉
2. ラブ・フォー・セール
3. サムシン・エルス
4. ワン・フォー・ダディ・オー
5. ダンシング・イン・ザ・ダーク

 1曲目の「枯葉」を聴いてください。アルトサックスのキャノンボール・アダレイ、トランペットのマイルス・デイヴィス、ピアノのハンク・ジョーンズがアドリブソロを演奏します。タイミングを合わせるのが少しむつかしいですが、「枯葉」のメロディをいっしょに歌いながら聴くことができます。元のメロディとアドリブソロは同じコード進行に基づくメロディですから、要するに“ハモれる”わけですね。
 とくに4分20秒からのマイルス・ディヴィスのアドリブソロを聴いてください。彼の得意技である「ミュート・プレイ」が聴けます。「ミュート」というのは本来「弱音器」ですが、彼ほどミュートを効果的に使ったトランぺッターは他にいません。
 ごぞんじだと思いますが、「枯葉」はもともとシャンソンです。したがって歌詞があり、「枯葉」というタイトルとメロディから想像される世界と歌詞はよく一致しています。マイルスの哀しさと鋭さの共存した音が、そんな「枯葉」の世界を広げ深めています。「感情移入」できるアドリブソロの代表例と言っていいでしょう。

 さてもうひとつ、まったく異なる「枯葉」を聴いてみましょう。


[12] サラ・ヴォーン『枯葉』(1982年)

Sarah Vaughan “Crazy and Mixed Up” (Pablo)

サラ・ヴォーン (vo)
ローランド・ハナ (p)
アンディ・シンプキンス (b)
サム・ジョーンズ (b)
ハロルド・ジョーンズ (ds)
ジョー・パス (g)
1982年3月1日,2日録音

1. 時さえ忘れて
2. ザッツ・オール
3. 枯葉
4. ラヴ・ダンス
5. ジ・アイランド
6. シーズンズ
7. イン・ラヴ・イン・ヴェイン
8. ユー・アー・トゥー・ビューティフル

 3曲目が「枯葉」なのですが、この曲では「枯葉」の元のメロディは出てきません。ギターの短いイントロの後、サラ・ヴォーンの“歌”が出てきますが、歌詞を歌っているわけではなく、意味のない言葉を発しています(これはスキャットという唱法です)。ここでサラ・ヴォーンは、なんと声を楽器としてアドリブソロを演奏しているのです。
 サラ・ヴォーンは「枯葉」の世界にはまったく気をつかっていません。「枯葉」は単なるアドリブソロの素材です。チャーリー・パーカー的「快感による感動」を強く与えてくれるという意味で、ボーカリストによるアドリブソロの代表的名演です。
 ところでこのアルバムの日本語タイトルについて。「枯葉」のシャンソン的世界は多くの人に愛されています。そんな人たちは、「枯葉」が演奏されていれば、『サムシン・エルス』のようにシャンソン的世界がジャズによって表現されていることを当然期待するでしょう。アルバムのタイトルが『枯葉』であればなおのことです。僕はこのアルバムの日本語タイトルを『枯葉』として発売した担当者の意図が、どんなに考えても理解できません。 

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