ジャズの扉を叩こう!
−ジャズという素晴らしい音楽 入門編−


第13回
BY 公子王孫
究極のアドリブソロその4

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[10]『エリック・ドルフィー・アット・ザ・ファイヴスポット Vol. 1』(1961年)
Eric Dolphy at the Five Spot Vol. 1” (New Jazz)

エリック・ドルフィー (as, bcl)
ブッカー・リトル (tp)
マル・ウォルドロン (p)
リチャード・デイヴィス (b)
エド・ブラックウェル (ds)

1961年7月16日録音
1. ファイアー・ワルツ
2. ビー・ヴァンプ
3. ザ・プロフェット


 アルトサックスのエリック・ドルフィーの代表作です。と言うか、ジャズの歴史の中でも五本の指に入る大傑作アルバムだと思います。編成は、ドルフィー以外にトランペット、ピアノ、ベース、ドラムスのいるクインテットで、タイトルどおり「ファイヴスポット」というライブハウスでの録音です。

「ザ・プロフェット」を聴いてください。とても長い曲ですが、2分3秒から始まるドルフィーのアドリブソロに注目してください。狂気を感じさせる音で上下に激しく変動するフレーズをまきちらす演奏に、まずは驚くことと思います。
 パーカーやパウエルは、新しいスタイルを作ったイノベーターですが、同時にみんながまねしたくなるカッコ良さがありました。しかしドルフィーのこの激しい演奏スタイルをすぐに取り入れた人はいなかったと思います。それは、パーカーを中心とした、アルトサックスはこんなふうに吹こうぜという「空気」を全く読んでいないからです。
 社会に組み込まれて生活していると、多かれ少なかれ「空気を読む」ことが必要ですね。しかしその空気が自分の気持ちと違っていると、抑圧されていると感じるかも知れません。そんなときは、爆発的な「表現」に対する憧れが強くなる。例えば、東映のやくざ映画で、虐げられた主人公が、抑えきれない感情を「殴り込み」で解放する、観る人はそこにカタルシスを感じます。それと同様に、ドルフィーのアドリブソロは、既存のジャズの枠には収まりきれない過剰な何かを、攻撃的に解放しているように聴こえます。
 ドルフィーの演奏にそういう聴き方をあてはめるのは、もしかしたらうがち過ぎかも知れません。本人からは、「ただ吹きたいように吹いているだけだよ」と笑われるかも知れません。しかし僕は、「空気を読まない」ドルフィーの演奏をカッコいいと思うし、強いカタルシスを感じます。聴いているとなんだか「強く」なるための勇気がわいてきます。
 では、ドルフィーの解放する「過剰な何か」とは何でしょうか? 前回、パーカーの音楽が表現しているものは感情ではないと言いましたが、このアルバムのドルフィーの演奏は、喜怒哀楽もそれ以外も含めた、人間がいだくあらゆる感情を、ものすごいスピードでまきちらすことによって、感情とはまた別のものに昇華されているように感じます。感情のコラージュと言ってもいいでしょう。パーカーのアドリブソロが研ぎ澄まされたジャズの本質だとすると、人間の総合的な表現手段としてのジャズが芸術として頂点に達したのが、「ザ・プロフェット」のドルフィーのアドリブソロだと思います。

 ドルフィー以外も聴いてみましょう。ブッカー・リトルのトランペットは、よく鳴っているにもかかわらず、どこか投げやりと言うか諦観さえ感じさせます。調律が狂っている(*)マル・ウォルドロンのピアノは、地底からもがきながらはい上がってくるような演奏です。アルバム全体を通して、これまで紹介してきたアルバムと明確な違いを感じるのではないかな?
 前に「ジャズにはサービス精神が欠けている」とは言ったけど、音楽には多かれ少なかれ「もてなし感」があるという世間のコンセンサスは、これまで紹介してきたジャズにもあてはまったと思います。しかしこのアルバムではそのコンセンサスは、あっさり無視されています。
 今の世の中、「おいしいもの」をいかに上手に見つけるかが、楽しく生きていくために最も重要なテクニックになっていますね。お酒でも食べ物でも他のものでも、良質かつ人にあんまり知られていないものが、おいしいとか面白いとか言って注目され、(ネット上も含む)口コミで広がっていく。ジャズには新奇性はないけど、そんな「おいしいもの」の定番のひとつとしていつも一定の注目はされているんじゃないかな。
 しかしジャズは、ちょっとマジに取り組むと、もてなし過剰の現代消費社会の「おいしさ」からすぐに離れていってしまう。そこで多くの人は、「あれ?私ってこんなの聴くためにジャズを聴き始めたんだっけ?」と我に返る。この『アット・ザ・ファイヴスポット Vol. 1』は、そんな我に返らせる力がとても強いアルバムだと思います。
 今のような高度情報化社会では、多くの人にとって「見つける」とは、おもてなしとして提供されたものの中からただ「選んでいる」だけだったりします。そうすると、自分の「外」にあるものは選ばれません。これも前に言ったことだけど、ジャズを真面目に聴いていると、どういう価値観で何を言わんとしているかまるでわからず、途方にくれてしまうときがあります。このアルバムが大傑作というのは、僕が言っているだけでなく、ジャズ界のコンセンサスです。それを信じて、腰を落ち着けてじっくりと聴いて欲しいと思います。そうすれば「外」からゆっくりと感動がやって来ます。そしてその体験は、自分の「枠」を広げてくれるでしょう。
「音楽を聴いていると眠くなる」というのが、その音楽に対するほめ言葉ととらえられることがありますが、僕は眠くなる音楽はやはり退屈なだけだと思います。このアルバムを聴いて眠くなる人はいないでしょう。ジャズは、イヤしではなく攻撃、陶酔ではなく覚醒、の音楽だと思います。このアルバムを聴いていると、そのことを強く感じます。

(*) ピアノはライブハウスにあるのを使うわけですから、調律が狂っているのはもちろんウォルドロンの責任ではありません。同じ頃にファイヴスポットで録音された他のアルバムでも調律が狂っていますので、オーナーが無頓着な人だったのでしょう。50年後も輝きを失わない歴史的傑作が作られるているなんて、オーナーもウォルドロンも気づいていなかったんでしょうね。 

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