ジャズの扉を叩こう!
−ジャズという素晴らしい音楽 入門編−


第12回
BY 公子王孫
究極のアドリブソロその3

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 第1回で、アドリブソロが楽しめるようになるには、まず、CDと一緒に歌えるようになるまで聴くことが必要だと言いました。僕らは、レコードやCDを買ってきて聴き込んだわけでもないのに、むかしのヒット曲をカラオケで歌えたりしますね。しかしそれと同じ感覚ではジャズのアドリブソロを一緒に歌うのはかなりむつかしいことだと感じたのではないでしょうか?(だからあのとき、何度も聴くことを強調しました。)
 その理由は、アドリブソロが、即興でなされているにもかかわらず、作曲家があらかじめ作ったメロディに比べて、圧倒的に情報量が大きいためでしょう。そして情報量の大きさが、ジャズという音楽にとって本質的に重要だと思います。

[9]『チャーリー・パーカー・ストーリー・オン・ダイアル Vol. 1』(1946年, 1947年)
“Charlie Parker Story on Dial, Volume 1” (Dial)

チャーリー・パーカー (as)
ディジー・ガレスピー (tp)
マイルス・デイヴィス (tp)
ワーデル・グレイ (ts)

1:
1946年2月5日録音
2-6: 
1946年3月28日録音 
7-10:
1946年7月29日録音 
11-15:
1947年2月19日録音 
16-19:
1947年2月26日録音 

1. ディギン・ディズ
2. ムース・ザ・ムーチェ
3. ヤードバード組曲
4. オーニソロジー
5. ザ・フェイマス・アルト・ブレイク
6. チュニジアの夜
7. マックス・メイキング・ワックス
8. ラヴァー・マン
9. ザ・ジプシー
10. ビバップ
11. ジス・イズ・オールウェイズ
12. ダーク・シャドウズ
13. バーズ・ネスト
14. ホット・ブルース(クール・ブルース)
15. クール・ブルース(ホット・ブルース)
16. リラクシン・アット・カマリロ
17. チアーズ
18. カーヴィン・ザ・バード
19. ステューペンダス

  第9回で、1940年代に「ビ・バップ」というスタイルが生まれたと言いましたが、「ビ・バップ」をつくった中心人物が、アルトサックス奏者のチャーリー・パーカーです。
 ビ・バップの誕生は「モダンジャズ革命」とも言われます。これは、それまでおまけ的あつかいだったアドリブソロを中心に据え、その質で勝負するジャズが、ミュージシャンたちによって意識的につくられたからです。それ以降のジャズは、スタイルこそ変わっても、「アドリブソロの質で勝負」という価値観は一貫しています。それを総称して「モダンジャズ」と呼びます。したがって「アドリブソロを真剣に聴くべし」と言ってきたこの連載もモダンジャズを紹介してきました。(例外は[7]ライオネル・ハンプトン『スターダスト』だけです。)
 このCDは、ダイアルというレーベル(レコード会社)にチャーリー・パーカーが録音した曲を集めたもので(Vol. 2もあります)、全盛期の演奏を聴くことができます。「アドリブソロの質で勝負」という革命を起こした彼は、自らが「アドリブソロの質で勝負」という価値観において最高峰のジャズを残しました。

 では彼の何が「最高」なのか? それを知るのに最適な言葉を、ある本から引用しましょう。
“ミュージシャンが、あるフレーズなりメロディなりを奏でる。そこで、「そうなんだよなあ、ここはこのフレーズなんだよなあ、わかるわかる」と、むろん一方通行であれ、ミュージシャンの気持ちと一体になれるのが、感情移入ということである。ところがパーカーの場合、曲のテンポに関係なく、リズム感覚が速いから、そのつど気持ちを込めて聴いたり、こちらの感情をため込んで、フレーズを追うということができない。”[中山康樹 著『新マイルスを聴け!!』(径書房)]
 もちろんこの言葉は、「だからパーカーはすごい」という文脈で述べられたものではありません。しかしパーカーの音楽の特徴を実に的確に述べていると思います。この中で特に重要な言葉は、「曲のテンポに関係なく、リズム感覚が速い」です。これはどういう意味でしょうか?

 例えば直線の道路を自動車が時速100km/hで走る。これはスピードが「速い」。カーブの多い山道を50km/hで走る。これはスピードが「遅い」。しかし、対向車とぶつかりそうになることも路肩をかすめることもなく、的確なハンドルさばきで余裕をもって山道を走っているとしましょう。どちらが、「リズム感覚的に速い」でしょうか? パーカーの「リズム感覚の速さ」とは、この「山道を50km/hで走る」ときに相当します。
 野球を例にとりましょう。三遊間を抜けようかというヒット性の当たりをショートがバックハンドで押さえ、すぐに体勢を立て直して一塁に矢のような送球をし、俊足のランナーを間一髪で刺す。それがリズム感覚の速いプレイと言えるでしょう。僕らはそれを見て小気味好さを感じます。快感と言ってもいいかも知れません。快感が身体を突き抜けて、「感動」さえします。
 一方、第2回WBCの決勝で10回表にイチローがセンター前に打ったヒットに日本中が感動しました。日頃、ストライクから鋭く曲がってボールになる変化球をバドミントンの選手がシャトルをさばくようにヒットにするイチローからしてみれば、なんてことないヒットです。しかし、それまでの不振を知っている僕らは、いつもどおりクールな中に若干の興奮が垣間見える二塁ベース上の彼の表情に、「そうなんだよなあ、イチローはこういう男なんだよなあ、わかるわかる」と感情移入することができました。

 スポーツと同様に音楽も、この2種類の「感動」を含んでいます。パーカーの「革命」とは、「リズム感覚の速さ」によって、快感に伴う「感動」を、徹底的にあらわにしたことです。これはジャズにとどまらず「音楽革命」と言っても過言ではありません。
 もちろんジャズにだって「感情に伴う感動」もあります。しかし、ジャズがジャズであるために絶対に必要なのは、「快感に伴う感動」の方です。「リズム感覚の速さ」によって最も高濃度の快感を与えてくれるから、チャーリー・パーカーのジャズは「最高峰」と形容されるのです。
 誤解覚悟で言えば、ジャズは「頭」で聴くものだと思います。リズムの奔流に乗ってアドリブソロのメロディが流れてくる。それは膨大な情報量になるので、「心」というバッファに貯めて「感情」に変換する時間はありません。流れてくる情報を同時刻的に脳内で論理的に処理する。それによって「言いたいこと」が明快に再構成されるときに身体が感じる快感。それがジャズを聴くことの本質です。
 僕はこれまで「ジャズの魅力」について述べてきましたが、それは再構成されたものをあとから時間をかけて表現したに過ぎません。人が「ジャズっていいよなぁ」とつぶやくのも同じことです。音楽は、音楽が流れるのと同じ速さで全身が感じていることにしかほんとうは意味がありません。だから、つぶやいている頃には大事なところはとっくに通り過ぎています。そうやってつぶやくよりも早く、もっとプリミティブなところにジャズの本質はあると思います。だから、じっくりと聴いて考えたり想ったりするのではなく、何度も繰り返し聴き、聴いているときのライブな感覚を注視することが大事です。

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