ジャズの扉を叩こう!
−ジャズという素晴らしい音楽 入門編−


第1回
BY 公子王孫
アドリブソロ その1

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 ずいぶんむかしのことですが、『Ryu's Bar』というトーク番組に、中村吉右衛門さんが出演したときの話です。吉右衛門さんがジャズ好きということでジャズの話題になったのですが、「レコードを聴いていて、曲のメロディが終わった後、アドリブソロの部分を退屈だと言って飛ばす人がいたんだよねぇ」という話を吉右衛門さんがしたのを覚えています。司会の村上龍氏も笑っていました。

 最も一般的なジャズでは、ミュージシャンが自らつくったオリジナル曲も演奏されますが、有名なミュージカルや映画で歌われた曲のように、誰でもメロディを知っている曲がしばしば演奏されます。そのような曲は「スタンダード」と呼ばれます。(オリジナル曲が他のミュージシャンに取り上げられてスタンダード化することもまれにあります。)
 いずれの場合も、曲が始まると、まず全員でその曲のメロディを演奏します。例えば最も有名なスタンダードである「枯葉」であれば、あのよく知られたメロディです。
「枯葉」だったら「枯葉」のメロディを演奏するのは当然だろうと思うでしょう。しかし、実はこの部分は、本の表紙みたいなものなのです。つまり、どんな「曲」を演奏するのか単に紹介しているだけだと。
 で、曲のメロディが終わったら、各人が順番に「ソロ」を演奏します。この「ソロ」で演奏されるメロディは、曲のメロディとは異なります。ミュージシャンがその場であらたに作曲しながら演奏しているからです。
 このように「ソロ」が即興演奏(アドリブ)で行われるということが、ジャズにおいて最も重要なポイントです。したがって、われわれも、この「アドリブソロ」を気合いを入れて聴かなくてはいけません。これは絶対に譲れないところです。
 もちろん、本の装丁が大事なように、曲のメロディ演奏にアレンジを施してその部分も楽しめるようにする場合もありますが、ジャズの「中身」ではありません。上の吉右衛門さんの話は、本の表紙だけ見て「オレこの本、好き。読んでないけど」と言っているようなものだから、笑い話になったのです。
 スタンダードは、良い曲なのでスタンダード化しているわけですから、そのメロディだけを聴いていたいという欲求がわくかも知れません。それに、アドリブソロってなんかゴニョゴニョやっていてよくわからない、と思う人もいるでしょう。
 しかし、曲のメロディだけを聴くか、アドリブソロに果敢に挑戦するかで、その後の音楽生活は大きく変わります。ジャズ鑑賞という趣味を手に入れられるかどうかの、最初にして唯一の分岐点がここだと言っても過言ではありません。

「バックグラウンド・ミュージック」という言葉があります。いわゆるBGMですね。この言葉の存在は、人間が、強く意識することなしに、音楽を聞き流すことができることを意味します。
 そこで求められている音楽の役割りは、その場の環境や空気を変えることです。それ以外にも、音楽が添え物であったり何かに奉仕するものとして用いられるシチュエーションが、世の中には数多くあります。
 そのせいなのか、アドリブソロを真剣に聴けと言われても、どうやって聴いたらいいかがわからないという人が、けっこういるように感じています。僕は友人に、歌詞という言葉のない音楽のいったい何を真剣に聴くのか?と訊かれたことがあります。
 そうです、その歌詞の話からわかりますが、人が自分に向かって言葉を語っているとき、そこで語られていることを理解しようとして、話の筋を追いながら、真剣に耳を傾けるはずです。
 僕はジャズのアドリブソロの聴き方も同じだと思っています。BGMとして空気を聞くのではなく、このミュージシャンは、何を語ろうとしているのか、筋を追うようにして、目で文字を追うようにして聴くことが、「真剣に聴く」ということです。
 それともう一つ、現代の音楽では「サウンド」が重視されているように思います。もともと単なる伴奏であった音の「つくり」が発達し、メロディの「筋」と対等になり、結果としてそれらが渾然一体となったものを聴いている。あらためて原点に返り、アドリブソロのメロディに注目して、聴いて欲しいと思います。

 さて、アドリブソロを真剣に聴くことが理解されたとして、さらにジャズのアドリブに対して、次の疑問が浮かぶことが想像されます。一つは、(1)なぜアドリブでなければならないのか? もう一つは、(2)どのようにしてアドリブがつくられるか?
 (2)に関しては、即興と言っても、ジャズミュージシャンがゼロからすべて作り出すわけではなく、「あらすじ」のようなものが存在します。ジャズを広く楽しむためには、この「あらすじ」についてふれないわけにいかないのですが、入門の段階では気にする必要はないので、とりあえず置いておきます。
 (1)については、あらかじめ「本質」を知っておくことは対象へ入り易くする一つの方法だとは思いますが、実を言うと、その疑問に明確に答えるのはとても難しいのです。
 これは、自転車の乗り方を説明することに似ています。乗れないときは二輪で倒れないことが不思議でしょうがないですが、いったん乗れるようになっても、なぜ二輪でも倒れないのかを説明するのは、やっぱり難しい。
 自転車と同様に、まずは体験・実践を優先し、すぐれたアドリブソロを、繰り返し繰り返し繰り返し、CDと一緒に歌えるようになるまで、何度も何度も何度も、聴くことが必要だと思います。そしてとにかく、アドリブソロというものを受け入れられるようになって欲しいと思います。
 次回からは、「すぐれたアドリブソロ」が聴けて、入門者にも受け入れ易いアルバムをまず紹介したいと思います。

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